日本では、平安時代中期以降に主流だった薙刀の後を追うような形で鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて槍が生まれ、雑兵用として発達していたが、応仁の乱の後、次第に武将も使うようになり、武芸としての槍術が発達していった。明治維新により江戸幕府が倒れると、他の武芸と同じく槍術も打撃を受けたが、その影響は特に深刻であった。武士の名誉の証となっていた槍は、武士の消失とともにその立場を失い、さらに長大な得物が体育実技として不向きで無用の長物とされ、一般に広く普及しなかったのである。また、槍術はその戦闘力の高さから主に上級武士のみが身につけていたため、元々習伝者の数が少なかったと言う理由もある。大日本武徳会にも多数が参加していたが、指導者の高齢化のため槍術中心の流派は、明治から昭和にかけて多くが失伝、断絶した。現代に残ったのは、貫流(尾張貫流)、佐分利流、風傳流、宝蔵院流高田派等のみであった。
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